イスラム世界との文明の衝突? まやかしの文明論 1

‘メディアがテロ組織イスラム国による日本人殺害を受けて、イスラムとの文明の衝突を如何せんなどと書いていた。
これはまやかしである。
文明は今生まれたものでなく、イスラム教の創生期に既にヨーロッパのキリスト教文明に接触し、モンゴル帝国をはじめとする数々の遊牧民国家によってアジアとイスラム・アラビア世界も接触している。衝突があるなら、すでに起こっているし、文明同士の出会いは常に戦争や新しい発見を伴って、持続的に続くものなのだ。

現代の西ヨーロッパとアメリカが自己中心的に見たときのみ、現代のテロリズムが文明衝突と錯覚しているのだ。

現在のシリアとイラクのテロ組織の増長の原因は明快だ。アメリカ合衆国の戦略ミスである。アメリカは、軍事力を行使すべき時に行使せず、行使すべきないときに行使している。国民との政治的な公約に従って外国との関係を規定し、戦略的な考察なしに軍事力を投入したり、引き上げたりしている。
イラク戦争は無意味だし、結果的に大きな損失を出している。アラブの春において、かつての盟友をいとも簡単に裏切ったのは大失敗で、何もできなかったことを政治方針にしてしまっている。
リビアでのカダフィ政権を、民主化のために攻撃すれば、エジプトやシリアでも攻撃的な民主化が始まるのは当然だ。
百歩譲って、カダフィは敵として攻撃したとしても、長年の同盟国エジプトを裏切るなんてありえない。米国の幼稚な政治方針に信頼をおけないからエジプトやシリアの政権は強硬策をとらざる得ない状況になったのだ。オバマ政権の大衆志向的なあやうさが、エジプトやシリアには脅威だったのだ。
エジプトやシリアでは絶対対的な権力である軍隊もアメリカ合衆国の無人機などの高度に情報化された戦力には太刀打ちできない。かといって、アメリカ軍もゲリラ的なテロ組織には無力。この、じゃんけんのような関係から、アメリカ軍が強くなり、軍事独裁政権を弱くするとテロ組織が増強する。一見、ゲームのように見えるこの関係が、現実化しているのが今の世界なのだ。
もちろん、実際の世界の情勢にはもっと複雑な要素が沢山作用している。単純なじゃんけんでないから世界は進化できる。それなのに、欧米や日本の短兵急に答えを求める考えが、まるでじゃんけんのようなゲーム化された世界を作り出している。ここにはその国の一人一人の人間の命など微塵も考慮されていない。
アフガン紛争を始めるときにアフガン国民の犠牲など考慮した意見があっただろうか?米国内では9.11以後、アフガニスタン国民の犠牲を配慮すれば非国民とみなされた。実際にアフガン戦争で、爆撃だけで数千人、地上部隊の交戦やテロ行為による犠牲も含めると数万に達する犠牲を出している。爆撃は確実に欧米多国籍軍による攻撃であり、アフガン市民の犠牲の中にタリバン兵が含まれるとしても、この犠牲者数がすべてタリバン兵でないことは明らかで、市民へのテロリズムの激化は戦争開始後に進んでいるから、戦争の結果、犠牲になったことは明らかだ。
第二次大戦で明らかに市民を攻撃した戦略爆撃や原爆投下を反省しない米国にとって数万人程度の市民の犠牲は大したことないかもしれないが、3千人程度の兵士の犠牲に対する大げさな態度と比べるとどうしても納得できない。
アフガン・イラク戦争では帰還兵のPTSDまで傷病年金の対象となっている。戦場で苦しみ精神を病むのは当然ことで、ベトナムでも経験済みだ。しかし、爆撃や銃弾の中で生活し、家族や友人がばらばらになって死んでいった市民の精神的な苦しみについて誰か考慮していただろうか?米軍の戦費にそれに対する予算はあったか?いずれも無しである。
戦争で心を病んだ市民は、やがてテロリストになって戻ってくるだろう。命や他者を思いやる気持ちを教えられず、単純な復讐原理にそまり、それは屈折して自爆をも肯定する精神になってしまう。
他人に振り上げた拳は、決して痛みを無しには戻ってこない。戦争では根本的な解決は不可能だといつになったら学ぶのだろう。何千キロ離れていても、ミサイルで殺した人の恨みは残るし、戻ってくるのだ。そこで殺しているのは蟻でなく人間なのだ。彼らはどこからそのミサイルが飛んできたのか知っているのだから。

シリアの内戦ではたくさんの人が難民になって国外に避難している。彼らを悲しみのまま、復讐心に囚われたままにしてはいけない。そのままなら必ず、我々への毒牙となって戻ってくる。何も守ってくれない彼らにこそ欧米・日本は手を差し伸べるべきだ。食べ物、テント、仮設住宅、教育、これくらい大した費用は掛からない。訓練された地上部隊を送るより、生活を立て直した人々、教育した女性たち、悲惨な時にでも希望と救いはあると教えた子供たちを送り返した方がイスラム原理主義テロ組織には痛手だし、副作用なく効果を発揮する薬なのだ。

今、アメリカ合衆国は、無人機による人的損害の減少とITネットワークを通じた監視システムよって、かつては奇跡だった成果を上げたことで、戦略的なミスを見逃してしまっている。技術革新が戦略のずさんさをカバーしている。というよりも、戦略そのものが無い。
戦争後の統治戦略も無しに戦争を始める。米軍はリスクなしに全世界に武力を投射できるので、戦争の開始は楽チンである。しかし、日本占領前に行っていたような統治戦略の策定は全く行われていない。政治的に、次の選挙までに戦争を開始して勝利することだけに手一杯なので、戦争後の治安対策など全く考慮されない。
直接の戦闘のみが極度に情報化され進化してしまったので、戦地の人々を統治する術を見失っている。
アフガンでのタリバンの統治システムの分析やイラクでのフセイン政権のそれをきちんと分析したか?否。戦後の日本で天皇制を維持させたような巧妙な方策を考えたか?否。
今の米国は大衆主義によって、かつての合理的で賢い政治戦略をとれなくなっている。そして、その失敗が先鋭的な右派の保守主義を増長している。これは欧米・日本における世界的な傾向になっている。

なぜ市民が理性を失い大衆主義に陥るかについては別論になるので触れないが、情報化による流入情報の過多が社会原則を崩し、人々が社会的な市民になるのを阻害しているとだけ言っておこう。

この世界的な大衆右傾化が、欧米軍事大国の政策を固定化し、企業利益最大化を目指した景気の向上という名の「公約」だけが唯一取りえる政策になっている。
世界の富は新たに生まれる余地が少ないので、結局は貧しい国から更なる収奪を行うことで利益を生み出すしかない。そして、それは世界の国家間、地域間の不公平を増大させ、より不幸に、不安定になっていくしかないのだ。


イスラム世界との文明の衝突?まやかしの文明論2へ続く

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