本の感想とご紹介 「ちくま文学の森」とトルーマン・カポーティー「誕生日の子どもたち」村上春樹訳

‘本の感想とご紹介 「ちくま文学の森」とトルーマン・カポーティー「誕生日の子どもたち」村上春樹訳

カポーティーの短編集を読むのは2度目。

カポーティーは、例のドキュメンタリーの本と映画で敬遠する作家だったけど、装丁と作品の選び方がクールだなと思って買い始めた「ちくま文学の森」の中で彼の短編に出会い、見直した。

若い頃の自分には「ちくま文学の森」(もちろん単行本)は結構高い本だったけど、選び方が新鮮で、読まず嫌いな作家の面白いところを教えてくれるので、とても貴重だった。
毎月、発刊されるのを待って買い、綺麗にカバーを作って読んでいた(当時は買った全部の本にカバーをつけていましたが)。

「ちくま文学の森」は作品の紹介したいエッセンスを取り出し、「美しい恋の話」、「思いがけない話」のようなタイトルでまとめた文学選集なのですが、まさにエッセンスを集めた本で、長い小説などは一部のみが取り出されていたりする。

それは、一種、国語の教科書を最初に読むときのような感覚である。良質の本のカタログを見ているようでもある。

また、例えば、「思いがけない話」にはO・ヘンリーの「改心」が収められているが、どのような展開ゆえにこの章に収められたか直ぐに分かるし、鮮明に筋も思い返すことが出来る。なのに読むのである。そして、「ここで驚いたな」と思いつつ読み終わる。

井上ひさしや鶴見俊輔などの選者が作品を選んだときの気持ちに共感できるのも、文学談義をしているようで楽しい。


まあ、そんな貴重な本に紹介してもらったのがカポーティーの短編だった。
「クリスマスの思い出」。後のカポーティーの残虐性が後ろにあるのを感じつつ、壊れやすい幼い男の子の純朴な感動を思い出させる作品なのだ。


村上春樹は嫌いである、読んで嫌いです、が、この人の最近の訳本の選択が良いのだ。

少し訳が古くて、かつ今の人にも新鮮に読める、ちょっと格好いい作品が選ばれている。
やたら感動するような大作を産み出せないアメリカ文学というのもちょうど良いのだ。彼はアメリカ英語が専門だし。


カポーティーのときのような驚きはないが、村上春樹も認めざるを得ない新訳でした。


今の「ちくま文学の森」
単行本が売れない時代なんだな、自分にはiPadなんて使う気にならないけどな、そんな時代なので文庫本です。
ちくまの文庫は昔の単行本なみに高いけど。



村上春樹訳のアメリカ文学短編集


もう中古しかない



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