赦しのこころの偉大さ 神戸連続児童殺傷事件の遺族への手紙

‘自分はいろんな関係で刑事事件やその後の捜査・矯正活動にかかわることが多い。
その中で、一番何度も思うのが世の中の不条理さである。

最たるものは、なんら落ち度のない小さな子供を殺人事件で失うことだろう。


そのときの親の気持ちはどうしようにもあらわしようがない。

一瞬で人生の意義を失い、希望とぬくもりを失い、永遠に平安を失うのだ。


表面上の悲しみ・苦しみは時とともに少しずつ癒されるが、ぽっかり空いた空虚な心をいつまでも苛む思い出は残り続ける。

しかも、その思い出は、他の思い出と違い、その後の人々の言葉、日々の生活、他の不幸、幸せがまわりに積み重なり、前よりずっと大きく心を占めるようになるのだ。


そして、親は、他の子供や家庭を見るとき、自分の老いを感じるとき、悲しい時、笑っているとき、幸せなときと、いつも、そばにいない子供を思い、どうしようもない気持ちになるのだ。


裁判員制度が始まり、一般市民にとっても犯罪と刑罰が身近なものになってきたが、実際、それに関わることがどんなことなのか想像するのは出来ないだろう。私が会うほとんどの人が被害者の気持ちも加害者の気持ちも理解していないことが多いからだ。


例えば、被害者のために重罪犯を死刑にすべきと一般人は言うが、本当にそれだけで遺族や被害者が救われると思っているのだろうか?

殺人などの重犯罪の場合、加害者やその家族のほとんどは転居し、配偶者がいる場合ほとんどは離婚する(9割程度と言われる、法務省は正確なデータを調査も公表もしてない)。しかし、これは被害者の場合も同じだと知っているだろうか?

家族が殺されたり、レイプされることで、被害者の家族や遺族も傷つき、いつしか家族の絆が崩れていき、離婚したり転居することになるのだ。転居には、出所した犯人に会いたくないという理由もあるだろうが、犯人自身が元の住所に戻らないことが多いので、ほとんどは関係ない。


「復讐するは我にあり」トルストイの小説にあるが、我とは神のことである。

復讐は相手だけでなく自分をも傷つける、愛するものを傷つける。
不条理な事件を少しは納得できる公平な事象に近づけることは出来るかもしれないが、先に言った心の空白を埋めることは決して出来ないのだ。

子連れ狼の拝一刀は子供を連れて殺し屋の仕事をしながら復讐を成し遂げる。完全に狂っている、修羅なのだ。


一方、赦しは、復讐よりずっと難しく、到達するのは至難の業である。

しかし、最終的にはこれだけが、人を修羅の道から救ってくれるのである。


年間に刑務所に入る人間は2万人以上、半数は窃盗・麻薬事犯であるが、残りは傷害や殺人・強姦などの強行犯である。
性犯罪者は繰り返すことが多いが、殺人などは累犯であることが少ないので、年間1万件以上の事件があり、それぞれ1万人の加害者と被害者がいると大雑把に考えていいだろう。

そして、彼らはどちらも苦しんでいる。

加害者は罪相応かもしれないが、被害者は決して死刑制度などで救えるような数でも人生でもないのだ。


記事引用・・
神戸の連続児童殺傷事件で、殺害された山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)の遺族に、当時14歳だった加害男性(27)から謝罪の手紙が届いた。
彩花ちゃんの母、京子さん(54)は「私たちの苦しみも想像しようとしていると感じた」と話している。


彩花ちゃんのお母さんが加害者の気持ちを思いはかっているのを感じて驚いた。


記事引用・・
京子さんは毎年、手紙が届いたことを公表してきたが、男性が本心を書けず、遺族として知りたいことが伝わらない可能性もあるとし、今後は公表を控える意向を示した。


お母さんは本気でこの加害者と通じ合おうとしている、本当に赦そうとしている。


今日の世界でこれほどの勇気を持ったひとが幾人いるだろうか?
加害者が何かの打算で行動している可能性はある。犯罪者の中には人間としての情を失っているものも多いからだ。しかし加害者がどうであろうと、彩花ちゃんのお母さんが手紙を受け取り、読んで、返事を出すのは、決して自分の満足のためではないのだ。

これは、加害者が救われるためであり、彼を更正させる天使の仕事を彩花ちゃんのお母さんが行っているのだ。


世の宗教家よこんな偉大な行いを出来るか自身に問うてみよ。

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