古本屋

‘ 最近、古本屋さんに行きました。久しぶりです。10年ぶりくらいです。昔は、同じ本好きの父と、三宮から元町高架下、新開地と古本屋ばかり1日掛けて回ったものでした。週に1度くらいのペースで、毎回数万円の本を買っていたので、ものすごい数の本がありました。


 ジャンルは、父が主に文芸美術、ノンフィクション、コミック、売れそうな本(将来古本屋するつもり?)、自分が岩波、SF、ミステリ、海外小説、洋書、マニアな雑誌など、とにかく何でもかんでも興味の向くまま買うのです。二人とも、蔵書の数が膨大なので、「持っている本のリストに無い本のリスト」を手にして古本の山を探すのですが、リストの更新を怠るので、同じ本を重複して買ったりした。特に父は、「売れそうな本」を1冊100円のコーナーで見つけると何回も同じ本を買っていました。


 実際、蔵書がどれほどあったのかは正確には分かりませんが、引越の際に、本だけで4tトラック2台半分あったのを覚えています。父が若いころに作ったリストには1万冊の近くの本がありました。自分は5千冊以上集めていました(私は比較的しっかりとリストを作っていました)。


 私は、買った本のほぼ全てを読んでおりましたが、年を取ってからの父は興味のある本しか読まなかったので、シリーズ物でしょうがなしに買っている本などは「積読」(積み上げて、きれいにして、リストに記入して、ぺらぺらめくったら終わり)になっていました。


 別に稀覯本を集めていたわけではないので、数はあってもそれほど値打ちのある本は多くないと思いますが、古本屋に出向くと以外に高い値札のついている本もありました。
 例えば、早川ミステリは全冊揃っていました。しかもほとんどが初版本でした。雑誌「ミステリマガジン」「SFマガジン」も創刊号から全部揃っていました。「ミステリマガジン」は三宮の書店で程度の良くないものが1冊1000円で売られていましたので、ビニールで包み、ハトロン紙で梱包していた家の本なら結構な値段になったと思います。
 また、自分は読むために、岩波の文庫・新書を集めていましたが、当時刊行されている文庫・新書は全て集めきり、復刊本と新刊本を待ち、古本屋では絶版になっている本を探す状態でした。
多分、関西のどの書店よりも多くの岩波文庫・新書を持っていたと思います。


 父も自分も、本が好きでしたので、沢山の本に囲まれているのが幸せでした。


 しかし、父が亡くなり、自分が、事情で家の蔵書を管理出来なくなるとそれらは全て処分され、今は1冊の本も残っていません。
 壁に並んだ書架のことを思い返すと寂しいですが、以前、父と本のことで語り合った手紙のなかで、父が「大切に取ってある本より、自分の中にある本の記憶の方が大切」と言ったことがあります。実際、そうなのかも知れません。読んだ本の数だけ、自分を豊かに出来ればそれでいいのかも知れません。


 古本屋で本を探そうにも、興味のある種類の本はほとんど読みつくしているので、買いたい本が無くて困りました。結局、妻に読ませることにして、「銀の匙」、「世界の十大小説(モーム)」、ジェイムズ・クラムリーを数冊、シャーロック・ホームズを数冊、世界の艦船を数冊、きっと面白くないだろうけど「キス」を買いました。
 現代作家の新作には大抵期待を裏切られます。ノンフィクションにまだ救いがありますが、小説はもう駄目ですね。活字以外のコミュニケーションが発達した現代には重量級の小説は向かないのでしょうね。モームの時代ですら、「もうトルストイのような作家は現れない」と言われていたのですから。

  銀の匙 キス

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