命がけのスポーツだと分かる2輪のGP(グランプリ) 富沢 祥也(19歳) サンマリノGPでレース中に死亡

‘また、若い日本人の選手が死んだ。

何度もオートバイの世界最高峰レースチャンピオンシップ、GPのことに触れているが、選手たちが命を賭けながらも素晴らしいスポーツマンシップで闘うGPには、

とてつもない興奮と、温かさ、それと恐怖を感じる。


最近は妻と一緒に見ることが多い。接触や転倒シーンになると、二人とも「何しとんや、危ない!そこまでするな」と心配ばかりしてしまう。

若い、明るく社交的な選手を見ていると、まるで皆が知り合いの子供のように見えてくるのだ。
そう、まるで子供の運動会を見ているような気持ちだ。

妻はほとんどのスポーツに興味が無いが、このGPだけは、レースシーンの迫力と、それを闘う選手のあどけなさのギャップに心うたれたようで、欠かさず見て、どの選手も応援している。
これも、何か母性を刺激する幼さが選手に見られるからではないだろうか。


そんな素晴らしい、若者たちのレースで、また、選手が死んだ。

それも、同じ日本人。


これまでも、この世界最高峰のレースで活躍する若い日本人は多かった。

レースに優勝した者もいるし、チャンピオンになった者もいる。

しかし、最高峰のレースで限界に挑むからこそ、何人もの犠牲者が出る。

Moto2で今年度初めて優勝し、チャンピオンシップも争う位置にいた 富沢 祥也がレース中の事故で死んだ。


レーサーはみなライバルだが、深い信頼によって結ばれている。
そうでないと、死角からの追い抜きや、ブレーキングで並んだときにカーブを曲がれない。

当然、富沢も、その信頼の中でレースをしていた。

彼らは、お互いの、一瞬のミスが、自分や相手を殺してしまうことを知っている。

しかし、誰が路面の全てを予測できるだろうか。


前方で転倒した選手を避けるのは、高度な予測と抜群の運転能力があっても難しいのだ。


だから、しょうがない、でも、、。


Moto2は今年から始まったレギュレーションで、バイクはワンメイクである。
だから、チームとしては参加しやすく、これまで見たことも無いほどの台数でレースしていた。

何度も、台数の多さが根本の原因と思える事故が起こっていた。


素人の妻でさえ、「台数が多すぎる」と危惧していた。

なのにオフィシャルは何をしていたのだろう。何も感じなかったのか?


とにかく、またも日本人の希望の若者が死んだ。
何で良い奴ほど早く死ぬのだろう、私が応援するレーサーほど早く死んでしまう。
阿部典史(レース中ではない)、
加藤大二郎、
ウエン・レイニーは半身不随になるし、
バイクではないが、グレッグ・ムーア。



日本ではGPは余り知られていないが、二輪レースの盛んな欧米では彼らはヒーローである。

そんな日本人の世界的なヒーローに哀悼を捧げる○○EMOJI○○143○○EMOJIEND○○。

サイバーネット神戸の最新情報をお届けします

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です