Mr.Children タガタメ
‘私はあまり日本の歌謡曲というか、邦楽全般を聴かないほうですが、この曲だけはとても思い入れがあります。
この曲は、ミスチルの桜井さんが病気で入院した後に作った作品で、最初はCDで販売せず、ラジオなどでのみ流されていました。
私は、当時ラジオの放送をとても集中して聴く機会があり、ミスチルの何を言っているか分かりにくい歌詞の中からひとつのフレーズが耳にとまりました。
「子供を被害者にも加害者にもせず・・・」
最初は聞き違いかと思いましたが、月刊歌謡曲などで確認すると確かにそうありました。
そして、その歌詞はこう続きます、
「・・・でももしも被害者に加害者になったとき、出来ることと言えば涙を流し、瞼を腫らし、祈るほかない。。」
衝撃を受けました。
昔、ヘルマン・ヘッセのデミアンを読んだ時に、自分と同じに思える少年の感性が描かれていることに驚きましたが、この歌詞にも同じようなショックを受けました。
確かに、少年の信じられないような事件が続いていた時だったでしょうか、子供たちの荒んだ心が報じられ、社会不安の中で、犯罪の低年齢化に少年犯罪厳罰化が取りざたされている頃でした。
ただ、私には、どうしてもマスコミの報道や周りの人々の反応に戸惑いを抑えられませんでした。
誰も彼も、被害者・加害者当人からかけ離れたコメントをしていた。それは近所の人の代弁であっても家族の思いとはとても思えなかった。
もし、犯罪を犯した子供が狂人で、その心が得体の知れないものだとしても、その子の親ならどんな思いか考えてみたことがあるだろうか?また、自分の子供が殺されても、犯人が死刑になれば心に平安が訪れると考えているのだろうか?
この詩の凄いところは、死んだ子供の親であったり、殺した子供の親に自分がなった時の想いを綴っているからだ。
「出来ることと言えば涙を流し、瞼を腫らし、祈るほかない。」
その通りである。
ある親が話してくれた、「親は子供のすることをハラハラしながら見ているしかない。その先に何があるか分かっていて、それを子供に話しても子供は聞いてくれはしないから。ただ、子供がそこで失敗し、怪我をしたり罪を犯す度に親は自分を責め、子供の不幸に涙し、ただ愛し続けるしかない。」と。
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