裁判員裁判 冤罪の責任なすりつけになるかも
‘裁判員制度での裁判が行われている。
司法制度の改革は、表面上は進んでいるが、実務的な部分では全く進んでいない。
今の裁判員、一般の国民のほとんどは司法の現場のことを知らないし、事件捜査の事もほとんど知らない。
それに加え、裁判の場で公正で十分な情報の提供が無いので、実質、裁判での印象やTVドラマでの知識などで裁いているのではないだろうか?
司法改革で一番問題なのは、事件での警察の捜査である。
警察の捜査は、現在まったく非公開で、捜査後であっても、関係者(被害者、被疑者)にすら開示しない。実際に裁判で使える証拠のみが知らされる。
つまり、明らかに被疑者が犯人でないとする証拠があっても、裁判に提示しない証拠は弁護側に知らせる必要はないし、実際しない。
それと、弁護士の質。日本の弁護士は試験に合格すればそれだけで仕事がある。別に実践的な法律家としての訓練も受けないし、法律や判例を沢山記憶できれば合格できる。
つまり、現在の司法試験では、その人のコミュニケーション能力や洞察力、表現力は全く問われない。
しかも、受験勉強ばかりして、その後も一定の道を歩くので、世間を全く知らない者ばかりである。
本当に法律を縦横無尽に使える者は、弁護士などにならず、企業の役員や官僚になっているのだ。
だから、今後、見てくれだけの司法改革、裁判員制度だけで十分と考え終わってしまうと、必ず冤罪や行政訴訟での権力側に都合の良い判決が出るだろう。
そして、その時には司法は「おまえも一緒だった」と責任を国民に投げるだろう。
いつか、自分が当事者になると想像して考えるべきだろう。 ‘