進撃の巨人 完結 2023年最高のアニメだな

進撃の巨人 完結 非常に良い作品でした。

進撃の巨人 Final Season

進撃の巨人 Final Season

進撃の巨人はファイナルシーズン3 94話で放送を終了した。

最後まで見ました。想像以上に面白かった。良い意味で読者の予想を裏切る展開でしたが、説得力のあるストーリーとアニメ動画の完成度の高さが見る人を引き付けた。作品の壮大さ、完成度、深いテーマ、芸術性、どこから評価しても2023年中最高のアニメと言える。これほどまで完成度が高いとは、想像していなかった。

人類が巨大な壁の中で巨人の襲撃に恐れながら、ささやかな力で抵抗しながら生き抜く。そして、巨人は無表情で感情もなく人を食らう。その薄気味悪い様子がこのアニメの根幹であったが、巨人の正体が人間だと分かってからは、巨人と人間の境界線はあいまいになり、物語に巨人の意思や人生が加わるようになった。あげく、壁の中の人類が海を越えて冒険する。もう、初めの設定などなかったような吹っ切れぶりであった。こんなんでまとまるのか?と心配であったが、まったくの杞憂。逆に、そもそも作者・製作者はこれを描きたかったのではないだろうか。

人類と巨人、壁の内と外、エルディア人とマーレ人、殺す人と復讐する人、あらゆる対立項の図式化、それらの衝突と破滅、その先の和解と平和。なんと、今の世界に必要なテーマだろう。以前、話題になった、「文明の衝突」というキーワードが思いついた。巨人を相手にしたサバイバルものだったアニメが、生きる意味と戦う意味を問う高次元のアニメに変貌したのだ。キャラクターの表情そのものも激変するのだが、それには理由がある、ということだ。

エレン シーズン1の頃

エレン シーズン1の頃

エレン シーズン3

エレン シーズン3

エレン 最終バージョン 陰のあるキャラクターに

エレン 最終バージョン 陰のあるキャラクターに


最初の頃のミカサ

最初の頃のミカサ

アルミン

アルミン

最終シーズンのミカサとアルミン もはや同一人物でもない

最終シーズンのミカサとアルミン もはや同一人物でもない

本当の最終話のミカサ 奇跡の一枚

本当の最終話のミカサ 奇跡の一枚

最終版までのストーリー

巨人になれるのは始祖ユミルの血をひくエルディア人のみ、その巨大な力ゆえにマーレ人をはじめとする世界の人々はエルディア人を恐れつつもその力を支配している。差別に苦しむエルディア人や世界の完全支配を目指すマーレ人はパラディ島(エレンたちの住む壁内の国)にある始祖の巨人の力を手に入れようとしている。

獣巨人であるジーク・イエーガー(エレンの異母兄)はエルディア人を不妊化して将来的に絶滅することで巨人の脅威をなくそうとしている。

一方、アルミンやミカサのいる兵団政権(壁内の王をクーデターで倒した)は始祖の巨人の力で起こす地鳴らし(壁の巨人を起こして世界中を踏み潰す能力、文字通り巨人の隊列で踏み潰す、始祖の巨人は他の巨人を操れる)で世界を威圧してエルディア(パラディ島)を守ろうとしている。

そして、実際に始祖の巨人の力を宿すエレンは、巨人を集めてすべて滅ぼし、自分も死ぬことで巨人の力をなくそうとしている。

 

シーズン3、

ウォールマリアの奪還作戦は表面上はシンプルな巨人対人類の戦いである。主敵はジークの獣の巨人、ライナーの鎧の巨人、ベルトルトの超大型巨人で、この3人はマーレ国軍の兵士として派遣されていて、エレンの奪取が目的だった。獣の巨人の投擲が半端ない強さで、団長も死ぬが、リヴァイが獣巨人を仕留めてウォールマリアの奪還は成功する。

このシーズン3からがアニメの転換期で、作品の質がはっきりと向上した。制作陣もかなり強化されたようである。ストーリーも、ゾンビを巨人に置き換えたサバイバル物から、意思を持った巨人とそれを操る謎の勢力との戦いに軸を移した。このあたりのストーリーの組み立ては原作者の力量が見て取れる。ひょっとすると、元からこんな大きな世界観で描きたかったのかも知れない。

このシーズンでの戦いは、巨人側はエレンの奪還、(あと座標とかも狙っていたけど、余り意味ないか)人類兵団側はウォールマリアの再封鎖と壁内の巨人の掃討と、見ていてわかりやすい図式で戦いが展開するので、多人称視点でスピーディーに展開するにも関わらず、ストーリーを追いかけやすい。シーズン内で、現国王が偽物で、壁内人類の記憶が操られているとか、いろいろと前半部分とのつじつま合わせの描写があり、最終的に兵団がクーデターを起こすなど、複雑な伏線が進行するにも関わらず、ウォールマリアでの3巨人との決戦の戦闘シーンの迫力、仲間の裏切りの発覚とその後の戦い、エルウィン団長やアルミンの死など怒涛の展開で飽きることがない。しかも、つじつま合わせの説明を登場人物が語るシーンなどでは、自虐的にその説明を茶化したりして、それがストーリーのつなぎ合わせであることを製作者が自覚している。

 

この戦い以後、

意思のない対巨人戦から、多元的なリアリティのある戦い(マーレ国とエルディア国との戦争)に変わり、巨人だけでなく、個々の兵士の役割も強化された。それぞれの場面でクライマックスとなる戦闘があり、テンポよく描かれて見応えがあった。巨人となるジークやライナーなどのキャラクターも深く描かれている。無個性だった巨人に元の人間の個性が追加されて造詣が深まるとともに、エレンとミカサの単なる同僚だった兵団仲間にもしっかりと性格が描きこまれ、人物造詣の質が高まった。

 

マーレ編のレベリオ収容区襲撃作戦では、

複数の場面でそれぞれの人物が活躍して、それぞれの視点で見せ場がある。エレンがボスキャラ化してて、兵団員が盛り立て役になりつつあるが、リヴァイがエレンの窮地を救い、アルミンが超大型巨人化して一瞬でマーレ海軍を海の藻屑にしたように、ここぞというところで大活躍。数万人の一般市民が巻き添えで死んでいるが、大迫力のシーンで痛快であった。一応マーレ人は壁の中の人類を滅ぼそうとする虐殺者なので犠牲もぎり納得できる。【実は、ここで一般市民の犠牲を描くのは、最終版での、マーレ人とエルディア人、巨人と兵団員の協力と和解に結び付けるためだ。】

 

パラディ島に移ってからは、
一番憎たらしい獣の巨人  正体はジーク・イエーガー(エレンの異母兄)

一番憎たらしい獣の巨人  正体はジーク・イエーガー(エレンの異母兄)

だれが敵か裏切り者か分からなくなっていき、何のために戦うのかも分からないようになっていく。仲間と殺しあう状況が、戦いの意義を問いかけるようになる。それぞれの過去の因縁と報復の連鎖がいつまでも人々をとらえ憎しみ追い込む様子が、今の現実世界の戦争を表している。同じ兵団員同士で戦うさまが悲しくて恐ろしい。鬼神のごとく戦うミカサも見てて痛ましい。それぞれが正しいことをしているつもりの虐殺が恐ろしい。どうしても好きになれない獣の巨人ことジークも最後にはかわいそうに見えてくるのだから不思議だ。

人類最強の男、巨人より危険な男リヴァイ兵長はジークもろとも雷槍で爆発するが復帰。最後にはジークを殺す。

人類最強の男、巨人より危険な男リヴァイ兵長はジークもろとも雷槍で爆発するが復帰。最後にはジークを殺す。

ここの戦闘シーンも精細な描写でハリウッドの大作のCGに匹敵する。爆発や落下の様子、巨人の動きと周りの建物の破片の速さの違いなど、よく研究されている。この描写力は本当にすごい、各シーンのクライマックスが精巧に描かれているので、見てて飽きない、アルミンが超大型巨人になってマーレの軍港を吹き飛ばすときの船や建物の破片の動きと数、獣の巨人が対巨人砲で撃たれて落下するときの距離感と速度、アニメーターの力が発揮される部分で、これほどの精巧な作品を近年見たことがない。超強力な合成CGを使っているハリウッドの大作でも、ミッションインポッシブルやマーベルの近作などの手抜きの爆発シーンと比べてみると、その差は歴然だ。

NHK配信のアニメなので完結まで安心して制作できたのなら、NHKのサポートも評価できる。制作会社のMAPPAは多数の作品を制作しつつ、よく、この作品に人力をつぎ込めたものである、監督の林裕一郎氏の力かもしれない。そして、原作者の諌山創氏は私が思っていた以上のストーリーテラーだと理解できた。スタートが巨人対人間の絶望サバイバルものだっただけに、ここまでの世界観を築き上げているとは、本当に感動しました。

進撃の巨人はこれで完結ですが、日本のアニメ界の底力を感じたし、将来に向け、新たな光となる才能が見える作品でした。「いってらっしゃい、日本のアニメよ」。

 

 

 

 

 

サイバーネット神戸の最新情報をお届けします